味覚は栄養士

この記事は「味付けなしのローフード」の続きです。

質問です。皆さんはどれぐらい「味付け無し、調理なし」の食品を食べていますか?一回の食事の中で 「味付け無し、調理なし」 の食品はあまり多くはないと思います。生野菜を食べる時もドレッシングで味をつけることが多いと思います。しかしこれに関しても先ほどのパターンと同じ、人間だけしかしていないことです。

味付けをして食事している動物なんて人間以外いない

と思います。たぶん。でも他の動物がしていない「味付け」をしたからって何か問題ある?って話ですよね。

私がここで言いたいのは「塩分とか化学調味料をとりすぎてしまう」とかではありません。私が前々から考えていることがあるのです。もしかしたら私と同じことを言っている人もいるかもしれません。時々この話を友人に話すことがあるのですが、ほとんど受け入れられたことがありません(笑)。その内容は以下のようなものです。

味覚は必要性のセンサー

「調理をせず、味付けもせずに食べる」という話をしたとき「そんなん不味くて食べてられない」と言われることがあります。確かにそうかもしれません。生の野菜を食べる時も、ほとんどの場合なんらかの味付けをしないと何とも物足りない味に感じます。

では牛は味付けしていない牧草を「まずい」と感じているのでしょうか?

牛に聞いてみたことはありませんが、多分 「不味い」 とは感じてないような気がしませんか?むしろ新鮮な牧草は「やめられない止まらない」でどんどん食が進むかもしれません。

それでは人間がおいしいと大喜びする新鮮な「フグの刺身」を牛に与えるとどうなるでしょう?

きっと牛は「不味い」となって食べないと思います。

この牛にとっての美味い不味いはいったいどこから来るのでしょう?私は「身体が必要性に則して味覚を作っている」と思っています。身体に合わないものを味覚のセンサーで感受すると「不味い」と感じ摂取をやめます。反対に必要なものは「美味い」を感じることで積極的に摂取します。例えばアフリカの像は数か月に1回、身体の塩分が枯渇したときに塩分がしみだしている岩を舐めに行くようですが、そのときは塩がおいしく感じられるようになっているのではないでしょうか。そのようにして野生動物は「考えることなく」今身体に必要なもの、その個体に合うものを味覚を通して選択しているのではないかとおもいます。

「味覚」は身体の声が反映されたセンサーであり、栄養士のように今必要な栄養分を教えてくれているということです。霊長類が出現してから数百万年、いやもっと太古からの叡智が栄養士として働いてくれているのです。

ということは味覚は健康的な食事を知る上での最も重要な指標になるかもしれません。

でも、この栄養士(味覚)は騙されやすい。。。。

例えば牛が喜ぶ新鮮な牧草の臭いと味を化学調味料で見事に再現し、それをフグの刺身にべったりと擦り付ければ、牛は「美味い美味い」と喜んで「牧草味のフグの刺身」を食べるかもしれません。

「牧草味のフグの刺身」 は美味しくお腹いっぱいになりましたが、牛は体調を壊すかもしれません。身体に合わないものを食べたからです。

私はこのような事が人間に起きているのではないか?と疑っています。

調理をし、味付けをすることで味覚のセンサーが的確に判断できなくなってしまっているのです。あれこれと味付けをして食べている物、それは味付けをしなくても美味しいと味覚が訴えるものでしょうか?味付けによって味覚のセンサーが惑わされてしまっては、先ほどの牛で言うところの「牧草味のフグの刺身」 を人間が食べていても気付くことはないでしょう。




野性味あふれる食事

では調理・味付けをしない食事の実践についてです。私が行ったのは「刺身、生野菜」を食べるというものです。約1か月間しっかり行いました。結論から言うとこの食事を実行している1か月間はすこぶる調子が良く、いつもに増して体が軽く元気でした。

でも1か月でやめてしまいました。理由は「生の野菜をウサギのようにムシャムシャ食べているのに飽き飽きした」というのが大きなものです。

ではなぜ飽き飽きしたのでしょう。地球環境に適応した動物は、地球上にあるもので満足するようにできていそうなものなのに。そこで「じゃあ今なにが食べたいのか」を刺身・生野菜食の実践中に考えてみました。そうすると頭に浮かぶのは全て「調理されたもの・味付けされたもの」でした。そしてその食品の何に惹かれるのかをイメージしたところ、自然に育つ野菜などには存在しない強度の「うま味や甘みや塩分」などを私の心が求めていました。

私達が普段口にするものは、精製され、ある特定の成分に偏ったものが多くを占めます。自然の植物にはありえない、強く味覚を刺激する食品はまるで麻薬のようです。私の味覚と脳はすっかり麻薬に魅入られてしまっているのかもしれません。そうなると私の舌にいる栄養士は麻薬中毒で使い物になりません。センサーがあてにならないのです。

それにそもそもスーパーに売っている野菜は私達の栄養士が納得するようなものなのでしょうか?私がスーパーで買った野菜に「飽き飽きした」のは単に野菜の品質の問題だったのかもしれません。

一度人間以外の動物がずっと行ってきたように、品種改良されていない野菜、化学肥料で土が痩せてしまっていない野菜を土から掘り起こしてすぐに食べる。なんなら土に生えたまま食べる(笑)。ぐらいの事を暫くの間やってみたいです。

こんなことを言っていると完全に野生動物になりたがっているかのようですがそういう事ではなく。私達の知性を自然から引きはがされていく働きばかりに使うのではなく、知性を自然と繋がる事に使うのも大事なのではないかと思うのです。







この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は IMG_143711-2-150x150.jpg です


「そまと」は奈良市の大和西大寺駅と平城駅から徒歩6分。ならファミリーまで歩いて2分の自然療法院。
東洋・西洋・世界各国の療法を織り交ぜたホリスティック療法で、原因不明の症状やなかなか良くならない慢性症状を改善へと導いています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

日記

前の記事

味付け無しのローフード
腰・お尻の症状

次の記事

坐骨神経痛